フリーレンの作中描写で視聴者から突っ込まれていることについて思うこと
これを書いている12/11現在、フリーレンのアニメ14話まで見ました。
原作漫画は読んでいません。
作品そのものの面白さの是非ではなく、あくまで色々突っ込まれていることに対して思うことを書きます。
ファンタジーの世界なのに○○があるのはおかしいという指摘。僕は突っ込みを入れている側に賛同してしまいますね。
探せば他のファンタジー作品でも同様の事例はいくらでもありそうなのになぜフリーレンが殊更この指摘を受けるのか、という所を考えました。
まず一つ軽めの理由としては有名税。単純に視聴者数が多いことで細かい部分まで見られてしまっているということ。これは今回は一旦置いておきます。
本題
理由としてはアニメ化にあたって認識のすれ違いが起きてしまっているのかなと思います。アニメからこの作品を見始めた人は第一印象としてこれをリアリティライン高めのファンタジーだと認識してしまっていると思います。初回放送では枠を拡大して2時間スペシャルと放送したところからも、本作は力の入った作品なんだと視聴者に思わせた所があります。僕自身、エルフという超長命種族が勇者のパーティーにいたらその後をリアルに描くとこうなるよねっていう所が本作のスタートだと思って見ています。
ステレオタイプなファンタジー世界をベースにした作品なわけですが、ここで一つ視聴者間でも認識が別れるのが、ステレオタイプなファンタジー世界という所。
初め数話を見た時点で視聴者は、これは中世ヨーロッパ的な世界に魔法があって、魔物がいて、異種族がいて、というタイプのファンタジー世界なんだなと認識します。(中世ヨーロッパがベースとは一切明言されずとも視聴者はそう捉えてもおかしくないだろうということです。)
視聴者が数話見て無意識に設定した葬送のフリーレンの世界のリアリティラインから大きく外れた描写が突然放り込まれてきたら、やはりそこを突っ込むなというのは無理があると思います。
この手の問題で言及されがちな日本語喋ってるじゃん問題は問題でないと思います。それは作品のリアリティラインを視聴者が探っている時点から日本語を話しているから。それはそういうものとしてインプットされるわけです。
一方で、ずっと日本語ベースで会話している作品で突然英語しか話さない外国人キャラが出てくると、今まで喋っていたのは視聴者に向けて翻訳したわけではなく本当に日本語を話してたんだ!となります。
たまにありますよね、作中でも多言語が使われていることを描写する作品は。
結び
僕の個人的な感覚では初期から出てくるものはその世界はそういうものとして定義される。しかし世界認識が視聴者の中に出来上がってしまった後にそこから外れたものを出すとおかしくなるというところで着地しそうです。
フリーレンをどの程度高尚なファンタジー作品として捉えているかによって視聴者のツッコミの妥当性が変わると思います。僕は最初の印象でリアリティーラインを高めに置いてしまったので紙巻きタバコの登場も気になってしまいました。でも全部そういうもんとして飲み込んで楽しい要素を享受したいと思いながら15話以降も視聴しようと思っています。ツッコミどころはありますが、全体として見たときに面白いか面白くないかで言うなら面白い側のアニメだと思いますしね。
突っ込みどころを作品中に見つけた場合に視聴者が得をする見方としては、どんな設定を後付けすればそのおかしな要素に整合性をつけられるのか想像して楽しむのが良いと思います。
久しぶりに文章を書いたのでかなり散らかった文になってしまいましたが、今思っていることを残しておこうと思いました。
おまけ
ハンバーグ名称問題をあえて僕なりに屁理屈こねてみます。
フリーレン世界にはドイツ語あるいはそれに酷似した言語が存在しているであろうことは人名などからもわかります。それならば地名としてのハンブルクは存在せずとも、ハンブルクという地名の由来になった言葉は存在していてもおかしくない。
調べてみたところハンブルクHamburgという地名は古くはHammaburgであり、
Hammaとburgにまで分解すればそれぞれに意味を持つ言葉のようです。
よって地名としてのハンブルクが存在せずともあの世界ではハンバーグなる単語が創造されるに至ったのだとこじつけてみました。